コラム

日本三大大崩

2018年4月15日発行 地質時代第19号 2面

1911年8月8日 稗田山崩れ(ひえだやまくずれ) 長野県小谷村

稗田山崩れ

 

崩壊4日前に台風が通過。記録的な降雨があった。死者26名。土砂の崩壊地点からの到達点は6km。最深100m以上の谷を埋めた。姫川の合流点で堆積。長瀬湖という天然ダムを形成した。地元住民らは排水路の設置に取組むが功を奏せず、一部決壊。糸魚川市河口にまで被害が及んだ。日本における20世紀最大の土砂災害となった。 (正面奥、稗田山。土砂が浦川を埋め尽くす)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1707年(宝永4年) 大谷崩(おおやくずれ)

静岡市葵区の大谷嶺南斜面  宝永地震によってできた山体崩壊。大谷嶺は標高1999.7m安倍川の水源の一つ。1530年にも崩壊があった。下流に長さ1里、横幅10丁の池を生じさせた。作家 幸田文が72歳のときに現地に接した。その迫力に圧倒され全国の崩壊地を訪ね歩き『崩れ』というエッセイをまとめた。さらに幸田文の孫である青木奈緒は祖母の著した『崩れ』の地を訪れ、『動くとき、動くもの』(講談社)といエッセイ集を著した。 (大谷崩の全景)

 

1858年4月9日 鳶山崩れ(とんびやまくずれ) 富山県・岐阜県の県境  

鳶山と立山カルデラ

鳶山崩れ

 

跡津川断層を震源とする飛越地震(飛騨・越後)M7.1によって生じた。鳶山には大鳶山と小鳶山の二つのピークがあったが、山体崩壊により完全に消滅。立山カルデラに大量の土砂が流れ込み温泉客と従業員は土石流に巻き込まれ死亡した。また、常願寺川・神通川・黒部川の河道閉塞と決壊により下流に大きな被害を与えた。 鳶山と立山カルデラ