

日本における地質調査の歴史は、明治政府によって地質調査所が設立された1882年(明治15年)にまでさかのぼります。国の富国強兵政策に基づく地下資源探査がおもな目的でした。
その後、多くの技術者が国内はじめ満州や南方方面に派遣されました。明治の終わり頃には、民間の石油掘削会社がロータリー式削井機を輸入して西山油田(新潟県)で約730mの深堀に初めて成功しました。
日本国内で初めてサウンディング試験が、組織的に地盤調査として行われたのは、関東大震災(1923年)直後、日本の建築構造学の基礎を築いた佐野利器(さの としかた)博士が計画した復興局による調査であります。東京市の環状線内とわが社の地元である本所・深川地区及び横浜市内において詳細な地盤調査を行い1929年11月に「東京および横浜地質調査報告書」を完成させました。メッシュ状に(格子に)区切った交点において、「突下数(とっかすう)」と呼ばれるサウンディング試験を行い、東京・横浜の地盤状況の把握が行われました。その結果、関東平野に広範な軟弱地盤(沖積平野)が拡がることを始めて確認する画期的な調査となりました。以降、軟弱地盤の知見が、地盤工学的にも地質学的にも拡がることになりました。
1950年頃より、戦後を克服し本格的な復興期を迎え、次第に大規模な高層建築の建設が始まりました。1952年には「地盤と建築設計震度低減に関する建築基準法施行令に対する建設省告示1074号」が公布されて、地盤の良否と、建物の設計計算が初めて直接結びつくようになりました。そして1963年の新潟地震による液状化現象による建物の倒壊を契機に、地質調査は一気に、広範に普及していきました。
地質調査の歴史は、始まりは富国強兵、戦争のための国力増強の為に生まれたけれど、関東大震災や新潟地震など自然災害から人間の安全と安心を守る、人間の技術として、時々の歴史時代に対応して発展していったことがわかります。
2011年3月11日の東日本大震災は、科学技術の本来のあり方を、お金儲けや営利だけの為にするのではなく、手間暇がかかっても、人間と地域共同体の安全と安心のために利用すべきであることを教えました。わが社の企業綱領でも、その第一項目の経営理念で、「ジオ・フロントの仕事は人間の生活基盤と生活環境を守るための事業である。」と高らかに謳っています。私どもは、この企業綱領の経営理念の道を進むために、一貫して技術能力を向上させ、正確・安全。迅速な作業で、現代の歴史の要請に応えきる所存であります。