コラム

聴竹居 環境共生住宅の原点

2018年5月15日発行 地質時代第20号 2面

 

「聴竹居」(チョウチクキョ)は1928年(昭和3年)に建築家 藤井厚二(1888~1938)によって、京都府乙訓郡大山崎町に建てられました。40歳のときの作品です。

全景

 

 2017年国の重要文化財に指定されました。「真に日本の気候・風土にあった日本人の身体に適した住宅」という理想を追い求めた住宅であることが評価されました。  藤井は、「その国を代表するものは住宅建築である」という言葉を残しています。  

 淀川から上がってくる西風を室内に取り込むために畳の段のあるところがスライドで開き、そこから外の風が入ってきています。いわゆる自然の換気扇です。さらに、天井には紙を5枚張り重ね、湿気を吸い取る工夫を試みている。

 天井にも同じような穴が空いており、ここからも空気が降りてきています。縁側のガラスは、夏は日差しを中に入れたくないし、冬は入れたいという矛盾した考えを実現するために、屋根の軒先の角度を見事に調節し、上部に刷りガラスを絶妙な場所に入れています。これは太陽の位置を測定して、すりガラスを入れて無粋な軒先を見えないようにして、見下ろす川のパノラマ感を演出しています。

空調

 また、縁側の角には柱がなく、屋根の端を吊り上げるような造りになっており、その強度は阪神大震災でもびくともしなかった。 客室では自作の机と椅子があり、ここでも工夫が見られます。着物を着た女性が座りやすいように座後ろを大きく開けてある椅子。畳に座っている人と、椅子に座った人と目線が合う位置に調整してあります。和と洋を目線でかみ合わせるという試みです。基本的にほぼ全面バリアフリーになっています。  冷暖房完備、バリアフリーを建築に体現することは現代の建築では当然過ぎることかもしれないが、昭和3年という時代は3.15事件や満州事変など殺伐とした事件が相次ぎ、翌年には世界恐慌が始まる時代の中、藤井の『人間に注ぐ暖かい思いやりこそ日本人の原点だ』という設計思想が作り上げた住宅といえまいか。