下の写真は産業総合研究所による、茨城県神栖市の液状化地域でのトレンチ調査。泥層を突き抜けて地表に突き抜ける噴砂脈が観察できる。
10月8日と31日、浦安市で発生した東日本大震災での液状化被害の損害賠償裁判が、相次いで一審、住民側敗訴の判決が下されました。 8日の裁判では、三井不動産が1981年以降に行った分譲地に対するもので、判決は「住宅の販売時(1981年当時)に液状化を予測するのは困難だった」と判断しました。また、三井不動産が研究者の報告をもとに、液状化に有効とされる工法をとっていたことも挙げ、「対策が不十分だったとは言えない」としました。 31日の裁判では、やはり、三井不動産が2003年~2005年にかけて分譲した土地に対するもので、判決は、「揺れる時間が数十秒の通常の地震が想定されていた」と指摘。「今回のように2分も続く地震は、当時の知見では予測不可能だった」として、業者側の責任を否定しました。 住民側にとって、まったく気の毒な判決となりました。判決の趣旨は、「当時は科学的に自然現象を予測できなかったのは、過失ではない。」ということであります。しかし、科学は常に発展しているとはいえ、自然現象が常に新しい課題を提起するのであって、決して科学が自然に追いつくことはないことは明白です。しかも、法律は自然科学のはるか後ろをゆっくりと歩いています。したがって、自然現象に起因する災害被害の行き着く先は「想定外」という聞きなれた言葉に収束していきます。今回の2例の判決の本質は、福島原発と同じ問題が提起されているように思われます。 現代社会において、日本人が初めて液状化現象を意識したのは、1964年の新潟地震でした。この時から、液状化を考慮した構造物設計指針の導入が始まりました。以下、概観します。
1964年(S39)新潟地震 M7.5
1964年(S42)東京都江東・墨田の液状化マップ作成
1974年(S49)建築基礎構造物設計基準
1983年(S59)日本海中部地震 M7.7
1984年(S60)宅地耐震設計マニュアル(案)
1987年(S63)東京低地の液状化予測マップ
1995年(H07)阪神淡路大震災 M7.2
1998年(H10)液状化地域ゾーニングマニュアル(国土庁)
2000年(H12)鳥取県西部地震 M7.3
2003年(H15)宅地耐震設計マニュアル(案)現UR
2004年(H16)浦安市地震防災基礎調査
2011年(H23)東日本大震災 M9.0
2013年(H25)宅地の液状化被害可能性判定に係る技術指針(案)
これでも「想定外」は付きまとうでしょう。さらに火災や倒壊を考慮すると、暗澹たる気持ちになります。しかし、それでも、人々は立ち上がり、復興してきた姿を見るとき、本当の財産と防災は、地域住民の絆、共同体の力以外にないように思われます。